ご挨拶

Greeting

「からくり細工」職人の岩原です。私は1999年に職人になりましたので、そろそろ職人歴20年が見えてきました。オリジナルの「からくり細工」を作り販売することで仕事としています。出身は福島県ですが、学生時代から埼玉、長野を経て、職人になる為に現在の神奈川県に引っ越して来ました。近年、5年ほどかけて、箱根からもほど近い小田原市の自宅の敷地内に自らの工場を作り、現在はここで仕事をしています。新しい「からくり細工」を作る職人グループである「からくり創作研究会」に所属し、共同での展示会やイベントを開催しつつ、普段は工場内にてからくり細工の製作に取り組んでいます。

 

 

 箱根・小田原地方の「からくり細工」は江戸時代にも遡るほど長い歴史を持っています。ですが、「からくり細工」と一言で言ってもその作品の幅は広く、作られる作品も時代とともに常に変化してきています。私は、基本的に自らがデザインした作品を作って仕事としていますが、自らの作品だけではなく、この地方の「からくり細工」の古い作品や歴史そのものにも深い興味を持っています。研究会の活動では、歴史の展示や歴史の本の編集、復刻作品の企画・製作など、歴史に関わる活動に多く携わってきました。

 

普段私が作る作品は、基本的にオリジナルの作品ですから、自分でアイデアを考えて、設計し、それから製作に入ります。大変時間と手間のかかる仕事でもあります。同じからくり細工職人の中でも、比較的手の込んだ、複雑な仕掛の作品を多く作っています。基本的にはそうした作品が得意でもあり、性にも合っているわけですが、少し枠を広げるような仕事もしてみたいと思っています。 

 

私は職人になる前に、1年間、長野県の職業訓練校で木工を習っていました。その時の先生の紹介でからくりの存在を知ったのです。(その先生は、鉋の薄削りで注目を集める「削ろう会」の現会長・上條勝先生です!)私はその直前まで、仕事探しに大変苦労し、迷い、正直、苦しんでもいました。自分に合う仕事が見つけられなかったのです。巨大な橋に憧れて建設系に進んだものの、建設系で働く考えは無くなっていました。宮大工、酒造りの杜氏等に憧れたりしつつも決断には至らず、木工を試す中でも家具作りでは先が見えなかった中で「からくり箱」の存在を見つけた時には、目の前が開けた感じがしました。自分に合う「3拍子揃った」仕事が見つかったと感じたのです。3拍子とは木工であること、高品質なもの作りであること、理論的な思考が役に立つこと、という3つです。それで、私の仕事が決まりました。 

 

訓練校にいた当時は、自分の好きな方向性で独自の木製品を作り、それを仕事とすることは、夢ではあっても、現実は甘くはなく大変難しいことと感じました。それが今、現実のものになっています(夫婦共働きですが…)。今、なぜそれが出来ているのか。それを考えると、その背景には、様々な先輩方の存在があることを感じます。私がからくりを習った亀井はもちろん、研究会の前会長である二宮、そして長い歴史の中には、からくりを作り発展させてきた沢山の先人達がいました。そうした先輩方の努力があって、からくりが社会の中で認知され、今や仲間の職人の仕事が支えられています。そこには、職人だけでなくお店の方からコアなファンの方まで多くの人の関わりがあり、その中でからくりの文化が続いてきています。歴史を見ると、そうした基礎があって今の自分の仕事があることがよく分かります。

 

今、インターネットの存在が余りにも当たり前になっていますが、この状況は、私のような特殊なもの作りをする職人にとって、大変に有利な時代にもなっていると思います。外国のお客さんとのやり取りにファックスしか連絡方法がなかった時代は、私の親方が「からくり箱」を作り始めた頃のことで、ほんの30年数年ほど前のことです。今は自分の作品を人に知ってもらう手段が格段に増えて、そのハードルがずっと低くなっています。ですがそれでも、自分の作品を軸に仕事を切り拓いていくのは、簡単ではありません。仕事が大変になり、体も心もいっぱいいっぱいになる事もあります。ですが、今この仕事を続けることが出来ているのは、大変ありがたい事でもあります。そのことを思い出しつつ、困難を一つ一つ乗り越えて、これからも出来るだけの作品を作って行こうと思います。

 

以上